区民の幸福な生活のために持続可能な社会である必要があります。誰かの犠牲の上に誰かが幸福になるのは不健全です。
未来にツケを回すのは持続可能ではないし、未来の人を犠牲にすることになります。
少子化対策をしない限り、社会は持続できないので、少子化対策を中心に社会保障を考える必要があります。
エッセンシャルワークとは、我々の日常生活を維持するために不可欠な仕事のことを言います。それに従事する人をエッセンシャルワーカーと呼びます。
例えば、医療、介護福祉、保育、教育、公共サービス、生活インフラ、物流、生活用品を扱う小売業などが挙げられます。
どのエッセンシャルワークも日常生活に必要なものですが、少子化対策におけるエッセンシャルワークに絞ると保育士、学童指導員、介護士などの共働きやひとり親世帯を支える職業があります。これらの職業がなければそもそも子どもを育てることが困難になります。これらの職業の従事者の待遇を改善することが、安定した子育ての基盤を作ることになります。
仮に保育士一人が5人の子どもを見ているとすると、そのまま5人分の労働力を支えていることになります。そう考えれば平均年収の倍くらいを保育士の年収としてもお釣りがきます。
給付や住民税を非課税とするなど区でできることはあります。
子どもを産み育てることが社会を持続させる唯一の方法なのにも関わらず、子育て罰、誕生罰など、子育てにはなぜか罪悪感が伴っています。子どもが増えることが全ての人の喜びにつながるルールを作れないでしょうか。
例えば、大田区独自に年金の追加給付をするとします。この年金は人口構成比に応じて年金支給の対象年齢が変化します。年齢を下から数えて75%以上の人に支払うというような仕組みです。
0歳から100歳まで各年齢の人が一人ずついた場合、支給対象は75歳以上となりますが、今年さらに10人生まれた場合、支給対象は72.5歳以上になります。
年金でなくても、このように子供を産み育てることが社会の構成員全体にとっても得になるルール設計をすることで、子どもを産み育てることの罪悪感を減らすことができないかと考えています。
また、完璧な人間も子育ての正解もないのに、なぜか子育てには完璧を求められ、親はギャップに苦しみます。このギャップの解消も罪悪感を減らす方法だと考えています。「親に完璧を求めてはいけない条例」を作るのも1つの手段かもしれません。(そもそも完璧な人はいないのだから、親に限らず「人に完璧を求めてはいけない条例」でもいいかもしれません)